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取組の概要河北潟に学ぶ河北潟に還す河北潟フォーラム活動レポート

19年度活動報告【歴史分野】

第3学年 歴史担当教員 佐々木香織

取り組みのねらい

 河北潟リテラシーでの歴史分野の位置づけは「河北潟について知る」ことである。これは,たんに河北潟の歴史的推移を知るというだけではなく,個別の事件の背景に大きな歴史的潮流があり,その潮流と郷土の事件とが密接に関わり合っていることを理解させることを意味する。
 平成19年度では,河北潟埋め立て工事にまつわる銭屋五兵衛疑獄事件を扱ったが,銭屋が富を築きあげる過程を理解するためには,北前船と江戸時代の経済,また加賀藩と他藩との関係などの知識が必要となる。また,銭五が検挙され獄死に至る過程を理解するためには,江戸の法制度や身分制度についての知識が必要となる。銭五の生涯をたどることによって,江戸時代の歴史を概観し,かつ河北潟という郷土についての理解を深めることが本取り組みのねらいである。

歴史分野における教材

 河北潟は,縄文時代から人々の生活と関わりを持っていたことが分かっているが,平成19年度講義では,一代で巨万の富を築きながら,河北潟埋立に乗り出した際に魚毒事件の首謀者として獄死した銭屋五兵衛の生涯を紹介した。
 銭屋五兵衛は,加賀百万石城下町の宮腰で質屋を営んでいたが,大型船の質入れを機にその船で自ら海へ乗り出し『海の百万石』とも称される豪商へとのし上がった。晩年には,開国を要求し日本近海を往来する異国船と幕府鎖国政策との相克から海運業の前途を危惧し,加賀藩の河北潟波除開(埋め立て事業)に着手したが,工事中に夥しい数の潟魚が死亡したことから毒物混入疑惑がもたれ,五兵衛は検挙され牢死,息子要蔵は磔獄門となった。これを銭屋疑獄事件といい,この郷土の事件を通じて,幕末の経済や開国へ向けた外交について概観した。